cky355のブログ

日々、感じること・思うことを徒然に・・・。

帰ろうとする明日

宵の明星

原始の感覚は、人間の進化の初期段階や古代の時代に存在していたと考えられる、基本的で原始的な感覚や感情を指しています。これらの感覚は、生存や繁栄に必要な本能的な反応や感じ方として機能していたとされています。


【一般的な原始の感覚の特徴】


生存に関する感覚: 原始の人々は狩猟や食物の収集、天候や自然の変化などにより生き延びるために感じる本能的な感覚がありました。危険を察知する感覚や生命を守る本能が、彼らの生き残りを支えていました。
基本的な感情: 喜び、怒り、恐れ、悲しみなどの基本的な感情は、原始の感覚として存在していたと考えられています。これらの感情は社会的な結びつきや相互作用を通じて発達していきました。
自然の力への敬意: 原始の人々は自然の力に対して畏敬の念を抱いており、自然界の中での自分たちの位置を感じていました。太陽、月、星、山々、川などの自然の要素に対して特別な意味を持っていました。
直感的な知識: 現代のような科学的な知識がなかった時代では、原始の人々は直感的な知識や経験に頼って生活していました。自然の循環や動物の行動、季節の変化などを直感的に理解し、それを生活に活かしていました。


人には進化に伴い社会性を重視する左脳と、本能的で感覚的な右脳がある。ここに書いた“原始の感覚”はきっと右脳が司る領域。なので、現代の人々にもなお、潜在的に存在している部分があるとされています。例えば、自然の美しさに対する感動や危険を感じるときの反応、愛する人々との絆など、古代の時代から受け継がれてきた感覚の断片が私たちの心に残っていると言えるのでしょう。


でも、どうでしょう。
社会的な関係がより広範囲に複雑になっていくと、左脳の領域が休まる暇もなく瞬時瞬時でアクションすることが求められているように思う。本来はもっと右脳を活かすことが必要なのでは?とも。
行き着くところまで来た文明社会は、飽和状態であるようにも見える。飽和した左脳は、右脳へのアドバイスを求めずに、自己の範囲を超えて他者の領域をも侵していき、さらに左脳を動かそうとしているように思う。しかし、この行為には限界があるような気がしている。であれば、もっと自らも有している右脳を動かし、別の景色の世界を見てみよう!と好奇心があるのなら、人はもっと進化するのではないだろうか。


一度、立ち止まって深呼吸することで見えてくる明日はきっとある。


画像提供元:Pexels


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