cky355のブログ

日々、感じること・思うことを徒然に・・・。

<世間話>ホッピーde HAPPY

ホッピー de HAPPY

俺は“ホッピー”が好きだ。


関東以外の方には馴染みが薄いかと思いますが、関東には“ホッピー”という飲み物があります。戦後間もない1948年、まだまだ高価であったビールの代用品として「焼酎割飲料」として爆発的にブームが起きた。“ホッピー”自体は、ビールテイストの炭酸飲料でアルコールではない。この“ホッピー”を飲む人の好みの量で甲類の焼酎で割る所謂「下町の酒」として親しまれてきた。


どうして俺が“ホッピー”が好きなのかというとまだ幼少期に、自宅が飲み屋を経営していたことがあり、お客さんが残した“ホッピー”を飲んだことがある。


“苦い!”


 子供にとっては、ジュールのような甘さを期待していたが、全く甘みはなく単に苦くてシュワ~っとする飲み物だった。俺の幼少期は自分も含めて近所も商店の店の子供が多く、皆、家の手伝いをしたものだった。ただ、飲み屋で子供が手伝い?と思われるかもしれないが、食品の買い出しやグラスやお皿の洗い物が主であった。しかし、いつの間にか、馴染みのお客さんからはカウンターに座らされ、宿題を見てくれる人もいれば、面白がってアルコールの入っていない“ホッピー”を飲ませて、子供を話し相手にする人もいた。次から次へと“ホッピー”を飲ませるお客さんが増えていくと変にジュースを飲むよりも腹持ちが良いというのか、何杯でも飲めるような気がしていた。初めて見るお客さんからすると「ホッピーを飲む子供!」と珍しがられ、売上を上げたい我が家からするとまるでホステスさんのように子供好きのお客さんが来ると店に出させ、お客さんの隣に座らせていた。(オイオイ、どういう時代だよ!と思われるかもしれませんが、東京の下町ではそんなに珍しい光景ではなかったように記憶している。)俺が高校生になる前に店主だった祖母の意思と当時の家兼店舗だった場所が開発により立ち退き要請があり、自然と飲み屋を閉めることになった。その頃には日本はバブル期に入る時期で徐々に“ホッピー”も町から姿を消していった。


 俺も大学生くらいになると地元ではなくターミナル駅やその当時、イケてると言われていた街で飲むようになり、すっかり“ホッピー”のことも忘れていた。しかし、時は流れ、俺が30代に入ると親の介護のこともあり地元で飲む機会が増え、地元の飲み屋では“ホッピー”が復活?しており、それ以降は「まずはビール!」ではなく「やっぱりホッピーでしょ!」という感覚でホッピーを好んで飲んでいる。


 ちなみにファーストオーダーでは「ホッピーセット」を注文。このセットとは、“ホッピー”瓶ごとと氷と焼酎が入れられたグラスが席に届く。飲み干した後は「ホッピー中」だけを注文していく。これが専門用語で、セットではない場合「ホッピー外=ホッピー」、「ホッピー中=焼酎」と分かれて呼ばれている。また、“ホッピー”も俺の幼少期には1種しかなかったが今では、スタンダードの「ホッピー白」、「ホッピー黒(黒ビールのテイスト)」、「ホッピー赤」果ては「生ホッピー」と種類がどんどん増えている。
俗に言う“センベロ”と言われる1,000円でベロベロになれる店では必須の“ホッピー”。今でも安く酔うには必須のアルコールだが、戦後日本の高度経済成長期初期を支えたアルコールだと思うと感無量になる。


※画像は行きつけの地元の焼き鳥専門店での画像です。w