<世間話>血が騒いだふくろ祭り
野次馬的な父のDNAをがっつりと継承してしまった俺は、祭りが好きです。父のように、渦中に飛び込むことはしないけど、祭りの“お囃子”を聞くとソワソワ、ドキドキする。
今年4年振りにフル開催となった東京・池袋の「第56回ふくろ祭り」。このふくろ祭りは神輿とよさこいで2週にわたって開催されるが、俺は“神輿”の方だけいつも見ている。
この4年間に、世の中の人々は今までに経験したことのないような日常を味わった。その鬱憤は計り知れない。「神輿=密接」は必須で、かけ声もその醍醐味の一つ。どれをとっても、コロナ禍ではNGな要因でもあった。徐々に減っているとはいえ、近代化された我が国日本であっても、古来からの祭りは現存し、継承されている。また、その渦中に入るもの、傍観するもの、どちらにとっても心象風景のように心の中に刻まれているように思う。
今年初めて、国際交流を目的とした日本人以外の方々が担ぐ神輿も一基あり、楽しそうに異文化に触れている姿を拝見し、時代の流れのようなものを感じたが、“かけ声”がない。。。何ともお上品な御神輿であった。一方、地元町会の数基の神輿は、4年分のパワーを全開にし、かけ声だけでなく、左右に神輿を揺らしたり、担ぎながらジャンプする町会まであった。この祭りでは初めている光景で、“待ってました!!!”という担ぎ手の声が聞こえて来そうだった。もちろん、プロの担ぎ手の神輿もあり、これはもう迫力というのか“圧”というのか、威厳を感じる荘厳ささえあった。俺はフィナーレとなる夕刻に見学に行ったが、池袋駅前のビル群の中、空の色と点灯さえた神輿の明かり、揃いの法被を着た祭りの男女が上げるかけ声、楽しそうに見つめる子ども達、少し昭和に戻ったような気分で、いつしか俺は、お囃子の音に合わせて、身体でリズムを刻んでいた。
忘れてはいけない日本の心象風景。
俺の体内の血が流れては戻り、細胞が喜ぶ感覚を久しぶりに味わった気分だった。

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