cky355のブログ

日々、感じること・思うことを徒然に・・・。

分断されたこの世界で

 私は2020年のアメリカ大統領選挙あたりから、各国の分断化が顕著になってきたと感じておりました。もちろん、水面下では“分断”は存在していたが、隠さずに表面化してきたという点で、顕著化していると感じるのだ。
 そして、この日本ですら!です。最小ロットのファミリーですら分断化が進んでいる。ファミリーの分断された日常生活を見ることでコミュニティの大切さを実感させられている。
現在、フランスで起こっている暴動。フランスはアフリカからの難民を特別区で仕切ったことからスタートした鬱積が、少年の銃殺で一気に膨れ上がったという解説を聞いた。嘗てのアメリカにおけるBLMの暴動と同じような経緯を辿っているのか?とも感じる。(違う点は、遺族である他界された少年の母上が警察自体は恨んでいないという発言。)


 世界通貨の分野で言われていたグレートリセットは経済のみならず、国という大きな単位すらリセットする時代になってしまったということなのか。悩ましい。


 貧困や争い等、様々な理由で母国を出て、移民になられる方々がいる。移住先には移住先のしきたりや習慣などがある。その場しのぎで、受け入れ側も移住した側もなんとなく、着地したように見えるが、異教という点ではなかなか根底を覆ることは難しいと感じる。
しかし、信仰するモノの表面だけではなく真髄を理解し、それに己の解釈と時代性を加味し共有すれば、見えてくるモノがあるのでは?と、ヤオヨロズの神を持つ日本人は思ってしまう。
 侵略、暴力を切り返すのが人間の歴史なのかもしれませんが、もうその感覚すらを超越しなければならない時代にもなっているのではないだろうか? それを現在の人々に理解させるのは無理なことだとしても、自分がされたこと(悪い方のこと)を自分も行う!では、人類の発展もそこまでなのかもしれないと感じてしまう。
  “多様性”というワードをよく聞くようになったが、日本には「十人十色」という古来の言葉がある。人は違っていて当たり前。それは広義に捉えると国民性も同様。違っているからこそ、意味がある。自分にないものだから、輝いて見える。良き物事は取り入れ、悪しき物事は改める。それが比較の中で生まれるのなら、相違がないと何も進化していかない。


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