cky355のブログ

日々、感じること・思うことを徒然に・・・。

<世間話>失われていく景色

昭和の床屋

私は今でも“床屋”で散髪しています。嘗て、数度だけ“美容院”でカットしてもらったことがあったり、ヘアのイベントでヘアスタイリストに髪をイジられたことはあるのですが、どうにも相性が悪く、、、“床屋”に行っている。美容院特有のノリで押し切る的な感じも好きではないし、何よりも不必要な会話が苦手なのです。w そして、床屋のひげ剃りや無骨な会話の方が、私には居心地が良い・・・という方が良いのかな?


昨今では、お洒落系の“床屋”が完全予約制で、たまに雑誌で取り上げられているが、私はそいうのではなく、町中にある“床屋”が好きなのです。現在、行っている床屋は、オーナーも店長も替わっているが、もう40年弱、通っている。


つい先日、隣町に用事があって徒歩で向かったのですが、通り道にある昔からある“床屋”が、もの凄い景色になっていた。この床屋に私が通っている訳ではないが。自宅兼店舗の店で、嘗ては元気よく床屋のサインポールが回っていた。とても繁盛していた店だった記憶がある。おそらく、店主が高齢で床屋は廃業し、店舗部分はそのままで住居部分で生活されているのだと思うけど(住居部分の電気が灯っていたので。)、ちょ~っとツタが絡まり過ぎて危ない?と思ってしまった。嘗ての光景を知っていることもあって、ちょっと切ない気分にもなった。


少し、訪れないと街の景色は大きく変化する昨今。チェーン店や時流の店だけが商店街を埋め尽くしていく。


本当にこれは、私が生まれ育った街なのだろうか?


と思うこともある。初めてマクドナルドが出来た時、初めてコンビニが出来た時、子供ながらにテンションがあがった。そうやって街は変化していくのだろうけど、昨今では区画自体が変わることもあって、全く違った街へと変貌する時期なのかもしれません。思い出を全て持ち続けることはできないとしたら、もちろんアップデートすべきであるが、忘れたくない景色もあり、これは人それぞれに違う。


人が街を創ると言うが、人の個性がなければ、皆、同じ街になっていくのだろうか?


そんなことを思いながら、ツタに覆われた床屋をぼ~っと見ていた自分がそこにいた。