cky355のブログ

日々、感じること・思うことを徒然に・・・。

古式ゆかしい盆供養

稲作

 4年振りに、父方のご実家に伺い墓参りをさせていただきました。
 父方の実家は、古くから続く農家の一族。
 日本には江戸時代に入り一般庶民にも普及した家紋。父方のご実家はこの時代に、嘗ては皇族や時の国家指導者達が使用していた“五三桐”を使用するようになり現在に至っている。
<※現在の皇族の紋章は“菊の御紋”の印象であるがこれは、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が13世紀前後ごろに衣服や調度品の文様に菊花紋を用い始めたことが始まり、自らの印として用いるほど菊紋を愛した上皇に倣って、後継の天皇にも自らを表す紋章として取り入れられた事から、徐々に菊の御紋として定着していったようです。>
大きなお墓(何基もの墓石がまとめって一族の墓として集合住宅のようになっているが、、、。)のまさに左右の門に“五三桐”が刻印されており、この御紋を見ると気が引き締まる思いだ。

家紋

 東京の隣県といっても、いくつもの電車を乗り継ぎ、“本当にここが関東なのか?”と思いたくなるような田園風景が広がり、商店はほぼ皆無の中にぽつぽつと一軒家が見えるまさに“村”。番地もおそらく1軒に一つあるのであろう。夏の空に永遠と続く田んぼの緑が何とも美しい景色である。そんな景色の中に小高い丘があり、その丘全体が墓地になっている。伺った8/13はまさに“迎え火”の日であり、それぞれの家庭が提灯を持って、墓参りを行い墓前で灯した火を蝋燭に付け、自宅まで持ち帰り、自宅仏壇の蝋燭に火を移す風習がある。嘗ては徒歩で墓地まで行き、灯した火が消えないように父の実家に持ち帰ったことがある。年に1度しか来ないからという理由でその大役を任されたこともあった。また、持ち帰った火(ご先祖様の霊)と同じ部屋で夏の郷土料理を親戚一同で食するということも行われている。
 今年は4年振りの訪問であったが、あいにくの天候である予報が出ており、すでに家長(従兄弟)が早朝に“迎え火”を済ませており、俺は従兄弟の車で墓地まで行き、墓参りをさせてもらいました。そして4年振りに俺と姉が来るということで、ご実家の3兄弟が集まってくれた。子供の頃は“田舎というモノがない”俺は、父方の実家に遊びにいくのが大好きだった。1日中、魚釣りや水遊びをしていたことを覚えている。実際に父方の実家に行っていたのは小学生までだったが、そんな小さな子供の相手を代わる代わる3兄弟がいろんな所に連れていってくれた。(近所にまた別の従兄妹があり、こっちも合わせての交代制)今考えれば、上の二人はすでに社会人でせっかくの夏季休暇だったはずで、何だか申し訳ないと今更思う。末っ子の従兄弟の兄ちゃんは、その当時、高校生~大学生でお盆のために実家に帰宅していたのだと思う。この末っ子の兄ちゃんには本当にお世話になった。

田園風景

 今回も、“子供の頃はこうだったなぁ~”だの言われ、挙げ句には“子供の頃はあんなに可愛かったのに・・・。”などと言われる始末。確かに最近では、その3兄弟や親戚が言いづらいコトなどをヅケヅケと俺が言っているような気がする。言いづらいことを俺に言わせる流れすら出来ているくらいだ。しかし、父方の従兄弟との会話は、年齢が離れていることもあると思うが、俺を無垢な子供の頃に戻してくれるようでとても心地が良い。村の習慣などを全く知らない俺は、たまに「これ大丈夫?」とか聞くこともあるが、親戚の中ということでだいぶ許されている気はしている。触れてはいけないこと、行ってはいけない場所、言ってはならない言葉、そんなモノがあるのかもしれない。未だに蛍も出ると聞くと余計に汚されずに心象風景として現存する場所なのだから、古来の風習もあるはずである。


 その一つがあの“迎え火”や“送り火”の提灯行列なのだとしたら、失って欲しくない風習だと思った。