cky355のブログ

日々、感じること・思うことを徒然に・・・。

Fight for Believing

私が従事するイベント業務をする上で心がけているのは「繊維・ファッション業界におけるT・P・O」


T(時/Time)
期間、各日のスケジュール管理。


P(場所/Place)
Tに合わせて、効率やロケーションも加味した場所を設置。
⇒場所の大小に関係なく、情報が集中し案内所となる場所の用意。(特に海外や東京以外からの来場者のためには必須。)


O(機会/Occasion)
TとPが慣例化された場合の次のステップとして、その時間と場を有効に活用するためにパイプ役の機能が必要性。


そして最近の私が、日常の業務で感じるのは「肌で感じる四葉のクローバー」


■女・子供を笑うものは、この業界では女・子供に泣く。
⇒日本古来の商習慣の良き部分を残し、悪しき部分を捨て、変化に対応する柔軟性を持たずして真の21世紀を向かうことはできない。国内において、消費動向を担っているのはまさに「女・子供」です。その「女・子供」のライフスタイルや、思考回路を理解することは今後の商品開発予測には不可欠な要因であると思う。家族や友人、自分の社内等を見渡せば、いくらでも良いマーケティングになる人々がたくさんいる。企業であれば、上下の関係や性別のみに意識を向けずに心を少し柔軟にすることで見えてくるものがきっとある。さらにはジェンダーへの意識変換が起きている昨今では、MDの考え方も変化すべきだと思う。


■国内至上主義からの脱却。
⇒「国内市場は、裏切らない。」という神話はとっくに崩壊していると言われた高度経済成長期~2000年代。しかし、国内の需要低下を意識し2010年代には海外への販路開拓を目指した零細・中小企業はたくさんいる。しかし、国内でウケたものがそのまま海外でも通用すると思ってはいけない。国内市場と各国市場をキチンと住み分けた展開を視野に入れ、生活に根付いたMDを習得し、予測の観点を常に意識すべきである。(この予測は、対人によるコミュニケーションで対応できる場合もある。)


■己の目的を持ち、「強み」と「弱み」を使いわける。
⇒相手の思考を把握し、「強み」で勝負することが大切である。己に目的もなく、「強み」や「弱み」も把握していない者は、相手に己や己の商品の説明も中途半端なものとなり、ないのも同じになってしまう。一時期は「弱み」を克服して平準化を図る考え方もあったが、世界や国内の経済動向を見渡すと待ったなし!の状況を感じる。まずは己を持つことが大事であり、「何でもあるは何もない」に等しいと感じるようになった今、「こんな商品ならあの会社」、「こんなアイディアが欲しいならあの人」のように、個性を主張し認識してもらっておくことが日常での大切なのだと思う。


■変化に対応し、姿・形が変わることも良しとする。
⇒生誕200年以上経過しているが、英国の自然科学者(同時に地質学者・生物学者)であったチャールズ・ロバート・ダーウィン。このダーウィン氏を多くの人が知っているのが種の形成理論を構築し進化生物学の中で発表された“種の起源”であろう。
この“種の起源”に次のようなことを著しています。


「この世に唯一生き残るのは、最も強い種や頭の良い種ではなく変化に対応できる種」


昨今は経済・社会状況、人々の趣味嗜好、需要の拡散、、、とても変化の目まぐるしい時代である。人は変化を嫌う方の方が大半だと思うが、現状のままで周りが勝手に変化してくれる時代はもう来ることはないのではないでしょうか?
2020年からの新型コロナウィルス感染症を通して、仕事でもプライベートでも人々は多くの変化を経験している。様々な変化は痛みを伴うが、変化の流れは確実に“あるモノ(未だ経験したことがないコトやモノ)”を形成されていくものだとも思う。


形は変われど、変化に合わせていける柔軟さ。これが、日本人や日本の製造メーカーには必要な要素だと思う。最後は目的意識の問題であり、目的が明確であれば様々な手段・方法が見えてくるものだとも思う。


自らが目的を持ち、自分の時間を費やすにたるもの(楽しみながら取り組めるもの)には、人は自然と集まってくるのではないでしょうか?そうあって欲しいとも私は願っております。そして、これには国境もないじゃないかなぁ~とも。


自分でもまだまだ、出来ていない部分はたくさんあるがいつまでも「Fight for Believing」でありたいと思う。


画像提供元:Pexels

言語も国境もないモノ、感じることが全てであるモノ

人が持つ五感(視・聴・嗅・味・触の五つの感覚)を使って、人はその固有なものを判断する。洋服のメインは視覚であり、音楽のメインは聴覚であることは当たり前のことだが、より進んだ欲求は、洋服の触覚、音楽の視覚を求めるものだと思う。洋服であれば着心地というものであるが音楽を見ることは難しい。楽譜を見ることはできるけれど、その旋律は奏でる人の気持ちでちょっとした変化をもたらすからだ。なので、ファンと言われる人でなくとも、ライブ(コンサート)へ出向き、演奏者やボーカルを目の前で見て、より聴覚を洗練させようとする。
また、ファッションの歴史において、モードと音楽は密接な関係を築いてきた。「ヒッピー」、「パンク」、「グランジ」等、2つの業界で共通の言語として名称を刻んでいる。社会や経済の状況を身近に感じ、何もないトコロから有るモノへ、クリエーターの特有の言語として洋服や音楽を創造するという共通点がある。同じ社会に生きていれば、環境は違えども似たような思考になることはありえることであり、その表現方法が洋服だったり音楽だったりするだけのことだと私は思う。しかし、2つの分野が同時に同じことを考えた時にいわゆる“ブーム”というものが生まれることがある。共感する人が多いことを象徴しているのであろう。
 さらに言うと、「ファッション」「ミュージック」「アート」「スポーツ」に言葉は必要がないと思う。言語も国境もなく、感じることができるものだと私は思っているからだ。


 実際に俺は、中国、インド、フランス、イタリア等・・・多くの海外で展示会やイベント等を展開してきた。学生時代は英検も取得し、プライベートの海外旅行ではよく東南アジアを訪問してきたが、その際には何の不自由もなく英語で現地を快適に過ごしてきた。しかし、長く海外渡航の間隔が空き、業務での海外出張が頻繁になると日常会話ではないビジネスでの会話となり、初期の頃はだいぶ尻込みをしてきた。中途半端な英語を話すくらいなら通訳を通しての方が正確だと一時期思っていた。
しか~し、ある時「この通訳の方は、俺が言ったことを全て訳していない?!」ということに気づいた。それと同時に仕事相手の現地の人も「この人、こんな短い話だった?」みたいな顔をしていることに気づいた。そこで、俺は俗にいう?「ルー大柴トーク」とでも言うのか、絶対に伝えたいことは「英単語」で表現し、その他は日本語で話すようにした。すると、相手の相槌や回答も今までのものとは違うモノへと変化していった。また、言葉だけでは俺のパーソナリティを伝えきれない!と思い、そもそもスーツを着ないタイプだが、自分なりのコーディネートでミーティングに挑むことで、相手が「こいつの話を聞こう!」というムードになっていった。この時に、ファッションは言語を超えると実感した経験がある。 
俺は元来の性格として「YES or NO」をはっきり言うタイプだが、よく海外の方に「あなたは何人?」と聞かれることがあった。「YES or NO」をはっきり言うからかな?と思っていたが、それ以上に「あなたは、感情がそのまま顔に出るから。」と言われることがあった。どうやら、日本人は感情を表に出さないというのが海外からのリアルな感想なのだろうと思った。
その業務をしなくなった今でも「あいつは元気なのか?」と言われているらしい、、、。それくらいにインパクトがあったのかもしれない。


 結局は、自分が取扱う事業で達成したいことが明確であり、相手の希望をも読み取ることができれば、言語よりも体当たりで感情を共有することで“前に進む”ことができる!俺はそう思っている。


画像提供元:Pexels